【シルフィウム】絶滅してしまった幻のハーブの謎

最古のレシピ サフルーとズルム

料理帖(De Re Coquinarid)現存する最古の料理本書は、古代ローマ人のアピキウス・マルクス・ガヴィウス(BC80年~AC40年頃)が記した『料理帖(De Re Coquinarid)』です。しかし、断片的なレシピであればより古いものが見つかっています。

フランスの歴史家ジャン・ボッテロが、メソポタミア文明の粘土板にある楔形文字を解読したところ、紀元前1750年頃のアッカド語で書かれた3枚の粘土板に、王へ提供する最古のレシピが記されているとを発見しました

それによると、ルッコラやディル、ミントやローズマリー、サフラン、タイムといった元代でもおなじみのハーブの他に、サフルー(sahlu)とズルム(zurumu)という現時点では特定できていないハーブが入っていました。

このレシピには材料が列挙されているだけで調理法などの詳細な情報はなく、もしかすると現在は絶滅してしまった幻のハーブなのかしれません。

絶滅してしまったハーブ、シルフィウム

ハート型のシルフィウム

紀元前七世紀、ギリシャ人が領土を広げるなか、北アフリカの海岸に植民地キュレネ(現在のキレナイカ)を建設しました。

そして、このキュレネ草創期の主な輸出品目は、「シルフィウム(silphium)」と呼ばれる今では絶滅してしまったハーブでした。シルフィウムは種の形がハートの形「♡」をしていて、「ハートマーク♡」の由来になったと考えられています。

ハートマークは、心臓や女性を表現したものだという説もありますが、当時発行された銀貨にシルフィウムが刻印されているため、このとき広く流布されたと思われます。(トランプのハートマークは「僧侶」、本来はカップの形)

薬草や料理で使うほか、避妊薬としても大変な人気だったので、約600年の間キュレネはシルフィウム貿易によって繁栄しました。銀貨に刻印されたシルフィウムしかし、シルフィウムを栽培しようとしてもうまくいかず、野生種のみだったため紀元1世紀ごろには絶滅してしまいます。

古代ギリシャの植物学者で植物学の祖として知られるテオフラストス(BC373年頃~BC287年頃)も、「シルフィウムはなぜか栽培することができなかった」と書いています。

貿易材料であったシルフィウムは管理され、割当以上に採る事が禁止されていました。しかし、肉の需要が増えたことによる大規模な放牧に加え、砂漠化も進んだことが絶滅の要因となりました。後述するプリニウスの『博物誌』には、「シルフィウムを売りより羊肉を売る方が儲かることが分かった」からだと記されています。

なお、テオフラストスの『植物誌』によれば、シルフィウムの近い種にマギュダリスと呼ばれるものがあり、「シリアの付近やギリシャのパルナソス山にたくさん生えている」とあることから、近親種は生き残っているかもしれません

正体は、おそらくジャイアントフェンネルの一種

フェンネルの花シルフィウムの学術上の分類は不明ですが、おそらくジャイアントフェンネル(アサフェティダ)の一種なのではないかと考えられています。

テオフラストスは、『植物誌』の中でシルフィウム(シルピオン)について「オオウイキョウの類に属する」と記しているほか、古代ローマ時代の地理学者のストラボン(BC63年頃~23年頃)は、ジャイアントフェンネル(アサフェティダ)がシルフィウムと同様で十分な品質を有しかつ安価な代用品として利用されていたことから、どちらも同じ言葉で使っていました。

『植物誌』の原本はラテン語のため、全訳されたものからシルフィウムの箇所を下記に引用します。

大槻 真一郎 (翻訳)『テオフラストス植物誌』 八坂書房(p237~238)

第六巻 小低木について
第三章
(1) シルピオンとエジプト産のパピルスの本姓は最も重要で、最も特異である。すなわち、これらもオオウイキョウの類に属する。これらのうちパピルスについては以前に水生植物の個所で述べたので、ここではもう一方のシルピオンについて論ずべきである。

 シルピオンは多数の太い根をもっている。茎はオオウイキョウほどの高さがあり、太さもほとんどオオウイキョウに近い。「マスペトン」と呼ばれる葉は、セロリに似ている。種子は幅が広く、いわば葉のようで「ピュロン」(ギリシャ語で「葉」の意味)と呼ばれる。茎はオオウイキョウと同様一年生である。春になると、前述のマスペトンを出すが、これはヒツジの体内を浄化し、おおいに太らせ、肉を驚くほど美味なものにする。その後、茎が出てきて、これは煮たり焼いたりしてどんな仕方でも食べられるが、これも四〇日間で体を浄化するといわれる。

一方、古代ローマの博物学者、政治家、軍人であったガイウス・プリニウス・セクンドゥス(AD23~79年)の『博物誌』には、シルフィウム(ラセルピキウム)がデナリウス銀貨と同じ重さの価値を持ち、最後の1本と思われるシルフィウムの茎が皇帝ネロに献呈された、ということが記してあります。

当時、シルフィウムはラセルピキウム(laser,laserpicium)と呼ばれており、根の汁を「リジアス」、茎の汁を「カウリアス」と言って利用していました。

『博物誌』の原本もラテン語のため、全訳されたもののうち2冊からシルフィウムの箇所を下記に引用します。

大槻 真一郎 (編集)『プリニウス博物誌 植物編』 八坂書房(p492~493)

Ⅷ 繊維作物と野菜
十五 ラセルピキウム
 これらのすぐ次には、重要な植物としてよく知られているラセルピキウムを語るのがよいであろう。それはキュレナイカ属州で発見され、ギリシア人たちはこれをシルフィオンと呼んでいる。この汁はラセルと呼ばれ、薬用としてとても有益で、同じ重さのデナリウス銀貨で取引された。

39 だがその地で最近しばらくラセルピキウムは見つかっていない。かつて底を牧場として貸借した収税役人たちが、もっと儲けがあると考え、家畜の飼料にして荒らしてしまったからである。われわれが記憶している限りでは、茎が一本だけ発見されてネロ皇帝のもとに送られた。もし家畜が生えだしそうなラセルピキウムを見つけた時、それは次の様子で分かるであろう。すなわち、ヒツジはそれを食べるとすぐに眠ってしまうし、ヤギはくしゃみをすることによって。

中野 定雄ほか (翻訳)『博物誌(第2巻)』 雄山閣(p833)

第19巻 一三~一五
ラセルピキウム
一五 キュレナイカのラセルピキウム
これらの次にラセルピキウムについて語ろう。これは著しく重要な植物で、そのギリシア名はシルフィウムである。これはもともとキュレナイカ属州に発見されたものだ。それの汁はラーセル<樹脂>と呼ばれ、一般に用いられる者で、薬剤の中でも重要な位置を占める。そしてそれと同じ重さのデナリウス銀貨で売られる。

[39]もうここ長年その国ではこれは見られない。というのも、牧場を強奪した徴税請負人がそこでヒツジを放牧してそれをきれいになくしてしまったからだ。そうしてそうした方が儲けが多いということがわかったのだ。われわれの記憶では、たった一本の茎がそこで発見され、それがネロ帝のもとに送られた。 もし草を食べている群れが偶然有望なそれのわかめに出会うことがあるとすれば、あるヒツジがそれを食べた後にすぐに眠りに行き、そしてあるヤギがくしゃみの発作を起こすことがしるしとなって発見されるであろう。

キュレネの場所

『植物誌』とシルフィウム

テオフラストスの『植物誌』

植物誌シルフィウムはすでに絶滅してしまったと思われるため、その様子や特徴を知るには限られた文献に当たるしかありません。

主なものでは、テオフラストスの『植物誌』(紀元前3~4世紀)とプリニウスの『博物誌』(紀元1世紀)があり、いずれもラテン語なので翻訳されたものをもとにシルフィウムの記述を追っていきます。

まずは、紀元前3世紀ごろと時代の古い『植物誌』からです。

先ほどはシルフィウムに関して記述してある一部分を引用しましたが、ここではシルフィウムの記述をすべて取り出してみます。

大槻 真一郎 (翻訳)『テオフラストス植物誌』 八坂書房
(p35~36、94~95、152~153、155、237~240、244、265~266、331~332)

第一巻 植物の部分と構成について、分類について

第六章
(2) 髄そのものは色においても相違がある。例えば、エベノスとオウシュウナラの髄は黒く、後者は「黒いオウジュウナラ」と呼ばれる。これらはすべて、一般の木部より硬くてもろく、そのため曲げにくい。また、比較的粗い髄もあれば、密なものもある。膜質上の髄は高木にはないか、あってもまれである。だが、カラモスやオオウイキョウやそれらに類した植物の場合のように、低木や一般に木本植物にはよく見られる。

第三巻 野生の樹木について

第一章
(6) また、あるところでは、雨が降った後、かなり特異で豊かな森が生じたといわれる。例えば、キュレネでピッチのように濃く、激しい雨が降ったあとがそうであった。事実、このようにして、以前にはなかった森がキュレネ近郊にも生じたのである。また、以前には見られなかったシルピオン(Ferula tingitana)もそのようなことが原因で出現したといわれる。これらの発芽は以上のような仕方で起こる。

第二章
(1) 例えばオリーブとセイヨウナシのそれぞれ栽培種と野生種のように、同一種の木の栽培種とくらべた野生種には少なくともあてはまる。実際、どんな気にもあてはまるといえるが、クラネイアやオエの場合のように、まれには例外もある。すなわち、これらは野生種のほうが栽培種より良く実が熟し、より甘いという。ほかに例外といえるのは、樹木であれ、より小さな植物の何であれ、栽培できない植物である。例えば、シルピオン、カッパリス、および豆類ではテルモスがそうであり、これらはその本性が特に野性的であるといってもよいだろう。

第四巻 特定の地域にのみ生育する植物、とくに樹木について

第三章
(1) リビアではロトスがきわめて豊かにきわめて見事に生育し、パリウロスも同様である。ただし、ナサモニア地方のある地域や、アンモン神の聖域付近などではナツメヤシがそのように生育している。キュレネ地方では、セイヨウヒノキとオリーブが最も見事に生育し、オリーブ油もきわめて多量に採れる。だが、すべてのうちで最も得意なものがシルピオンである。

(7) 樹木は元々乾燥しており、乾燥したものから構成されている。以上の樹木はこの地方(リビア)に最も豊富に生育し、きわめて特有なものである。シルピオンについてはその本性がどんなものであるかを後に論ずる必要がある。

第六巻 小低木について

第三章
(1) シルピオンとエジプト産のパピルスの本姓は最も重要で、最も特異である。すなわち、これらもオオウイキョウの類に属する。これらのうちパピルスについては以前に水生植物の個所で述べたので、ここではもう一方のシルピオンについて論ずべきである。

シルピオンは多数の太い根をもっている。茎はオオウイキョウほどの高さがあり、太さもほとんどオオウイキョウに近い。「マスペトン」と呼ばれる葉は、セロリに似ている。種子は幅が広く、いわば葉のようで「ピュロン」(ギリシャ語で「葉」の意味)と呼ばれる。茎はオオウイキョウと同様一年生である。春になると、前述のマスペトンを出すが、これはヒツジの体内を浄化し、おおいに太らせ、肉を驚くほど美味なものにする。その後、茎が出てきて、これは煮たり焼いたりしてどんな仕方でも食べられるが、これも四〇日間で体を浄化するといわれる。

(2) 液汁には二種あり、一方は茎から、他方は根から採れる。このためそれぞれ「茎の液」と「根の液」と呼ばれる。根は黒い表皮をつけており、人々はそれを剥ぎ取る。根の採取についてはちょうど鉱山での採取のきまりのようなものが人々の間にある。それによって切り取るものと残すものを調整し、適切であると思われる分だけを切り取る。すなわち、誤った切り方をすることも、規制された以上に切り取ることも許されない。採りすぎた場合、そのうち加工しきれなかった液汁が長いこと置かれると腐ってだめになるからである。これがペイライエウス港(アテナイの外港)に運ばれるときは次のように取り扱われる。すなわち、器に入れ、粗粉を混ぜた後、長い間ふるのである。こすると色がつき、このような取扱いによて以後ずっと腐らないでいる。シルピオンの採取と取扱いについては以上のとおりである。

(3) また、シルピオンはリビアの多くの地域にわたって見られ、その地域は四〇〇〇スタディオン(約七一〇キロメートル)以上にわたるといわれる。エウエスペリデス諸島に連なるシュルティス湾(リビア沿岸の大きく浅い二つの湾)の付近にとくにたくさん生育する。その特性は耕された土地を避け、土地を耕作し世話をすると姿を消すことである。というのも、シルピオンは明らかに手入れを必要とせず、自生しようとするからである。キュレネの人たちは、彼らが街を気付く七年前にシルピオンが現れたという。ところで彼らは、アテナイでシモニデスがアルコン職にあった年(前三一一~三一〇年)に至るまでおよそ三〇〇年の間そこに住んでいるのである。

(4) 以上のようにいっている人たちがいるが、一方ほかの人たちによると、シルピオンの根は一ペキュス(約四四・四センチメートル)かもう少し長く生長する。また、根の中央には「頭」があって、これは根のうちでもっとも上にあり、そのほとんどが地上に出ており、「ガラ(乳)」と呼ばれる。その後、これから茎が生え出て、さらにそれからマギュダリスが生ずる。これは「ピュロン」とも呼ばれる。だが、実際には種子である。そして、キュオンが昇った後(七月中旬以後)に激しい南風が吹くと、この種子が飛び散り、これからまたシルピオンが生えてくる。根と茎は同じ年に生える。だが、種子が飛び散ったすぐ後に生えてくるというのでなければ、それは何もシルピオンにだけ特有のことではない。そのようなことはほかの植物にもおこるからである。

(5) また、次のように、以上に述べたこととは異なったことをいう人たちがいる。すなわち、彼らによれば毎年土を耕さなければならないという。もし土地をそのままにしておくと、種子をつけ茎を出しはするが、種子も茎もまた根も質の悪いものになる。だが、掘り返されると土が変化するため、それらも質のよいものになるという。これは、シルピオンが耕された土地を避けるという話とは相容れない。また根は新鮮なうちにばらばらに切り、酢につけて食用にする。葉は金色をしているという。

(6) この葉を食べたヒツジが浄化されないという次の報告も、ここに述べたことと矛盾している。すなわち、ヒツジは春と冬に山地に駆りたてられ、このシルピオンやほかにアブロトノンに似た植物を食べるといわれる。どちらの植物も温める作用があり、浄化することこそないが、体内を乾燥させ、消化を促進させるように思われる。病気のヒツジ、または具合の悪いヒツジがシルピオンの生えているところに入ると、すぐによくなるか、または死ぬことになる。だが、回復する場合が多い。二つの報告のうちどちらが正しいかは、研究の必要がある。

(7) マギダリスと呼ばれるものはシルピオンとは別の植物で、もっと質が粗く、それほど苦くはなく、独特の液汁をもたない。そこで、よくそれに通じた人たちは、その外見だけで見分けることができる。これはシリアの付近に生育し、キュレネには生育しない。また、パルナソス山にもたくさん生育するといわれ、これをシルピオンと呼ぶ人たちもいる。それがシルピオンのように耕された土地を避けるかどうかは、探求の必要がある。さらに、葉や茎について類似あるいは近接した点があるかどうか、また一般に液汁をだすかどうかも同様に探究の必要がある。オオウイキョウの類については以上のことにおいて考察すべきである。

第五章
(2) すでに述べたように、カッパリスにはないのものにはない特性がある。すなわち、刺のついた葉と茎をもっている。その点で、ペオスやヒッポペオスが葉に刺をつけていないのとは異なる。根は一本だけで、のび方は浅く、茎は地面を這う。夏に芽を出し、花を咲かせるが、葉はプレアデスの昇るとき(五月中旬)までずっと緑のままでいる。また、砂の多く混ざったやせた土を好む。耕された土地には生えようとせず、町の付近や土の肥えたところに生育するが、シルピオン同様、山地には生育しないといわれる。だが、これは必ずしも信用できない。

第七巻 花冠植物以外の草本植物―野菜類とそれに類した野生の草本類について

第三章
(2) また種子も形に相違がある。すなわち、多くのものはまるいが細長いものもあり、さらには幅が広く、葉のような形をしたものもある。例えばアドラパクシュスの種子がそうで、実際シルピオンの種子に似ている。

第九巻 植物の液汁、および医薬としての液汁の特性について

第一章
(3) だが、根にだけ樹脂を含んでいる植物もある。例えば、ヒッポセリノンやスカモニアやそのほか多くの薬用植物の場合である。また、茎にも根にも樹脂を含んでいる植物もある。すなわち、ある植物の場合は、茎と根から液汁を採る。例えば、シルピオンの場合もそうである。

(4) また、シルピオンの液汁には、この植物そのものと同様に刺激臭がある。すなわち、シルピオンの液汁と呼ばれるものは樹脂である。

(7) また、これらの植物に切り込みを入れることは、かなり正確さのいる細かい仕事である。流出する液汁がかなり乏しいからである。茎も根も切る植物の場合は、茎のほうを先に切る。例えば、シルピオンの場合がそうである。そして、茎と根から採れる液汁はそれぞれ「茎根の液」と「根の液」と呼ばれるが、「根の液」のほうが優れている。純粋で、透明で、比較的水分が少ないからである。「茎の液」のほうが水っぽいので、それに粗粉をかけて凝固させる。リビア人は、シルピオンに切り込みを入れる時期を知っている。事実、彼らがそれを刈り集めるのである。採集者たちも薬効のある液汁と集める人たちも同様にして液汁を集める。すなわち、彼らも茎のほうから先に液汁を採る。一般に根を採取する人も液汁を採取する人もすべて、植物に切り込みを入れるのに適した時期に注意をはらっている。このことはどんなことにも共通している。

『プリニウス博物誌 植物編』

プリニウスの『博物誌』は、テオフラストスの『植物誌』より300年ほど後の書物です。

この『博物誌』は、プリニウスが見聞・検証した事柄以外に他書物をまとめた部分もあるため、『植物誌』と同様の内容も見られます。

ただ、『博物誌』独自の記述もあるため、記述箇所をすべて取り出してみます。

大槻 真一郎 (編集)『プリニウス博物誌 植物編』 八坂書房
(p257、461、492~495、528、533)

Ⅴ 森林(野生)樹

六一 雨のはたらき
143 また以上の樹木に関しては、たんに土地の性質とか気候の永続的な作用ばかりでなく、さらに天気のある一時的な作用も重要である。すなわち、降雨は何らかの仕方でしばしば種子を運んでくる。そして種類の明らかな植物や、さらに時には未知の植物からも種子が雨に流されてやってくる。キュレナイカ地方に初めてラセルピキウムが生えた時には、実際そういうことがこの地に起こったのである。これは草本類の性質を扱うところで述べよう。このキュレネの町の近くにある森も、ピッチのような色の激しい雨によって生じたものである。

Ⅶ 穀物とマメ類
308 ヒヨコマメだけは納屋に入れておいても虫がわかない。酢の入った壺を灰床において敗を塗り、その壺の上にマメを積み上げておくと、害虫がわかないと信じている人がいる。また、塩漬け用の瓶に入れて、その瓶に石膏を塗る人もいる。またある人は、ラセルピキウムを混ぜた酢に浸して、それを乾かしてから、またオリーブ油をふりかける。

Ⅷ 繊維作物と野菜

十五 ラセルピキウム
これらのすぐ次には、重要な植物としてよく知られているラセルピキウムを語るのがよいであろう。それはキュレナイカ属州で発見され、ギリシア人たちはこれをシルフィオンと呼んでいる。この汁はラセルと呼ばれ、薬用としてとても有益で、同じ重さのデナリウス銀貨で取引された。

39 だがその地で最近しばらくラセルピキウムは見つかっていない。かつて底を牧場として貸借した収税役人たちが、もっと儲けがあると考え絵、家畜の飼料にして荒らしてしまったからである。われわれが記憶している限りでは、茎が一本だけ発見されてネロ工程のもとに送られた。もし家畜が生えだしそうなラセルピキウムを見つけた時、それは次の様子で分かるであろう。すなわち、ヒツジはそれを食べるとすぐに眠ってしまうし、ヤギはくしゃみをすることによって。

40 すでに長い間ラセルは、ペルシア、メディア、アルメニア以外からは輸入されていない。それらは収穫量が多い反面、質の面ではキュレナイカ産よりも劣る。さらに、ゴムやサコペニウム(オオウイキョウ属の植物からとった芳香ゴム)やソラマメを潰したものを混ぜてごまかしたラセルさえあるのだから、次のことは書き記しておくべきだと思われる。すなわち、ガイウス・ウァレリウスとマルクス・ヘレンニウスが執政官だったとき(前九三年)三〇ポンド(約九・八キログラム)のラセルピキウムがキュレネ(キュレナイカ属州の中心都市)からローマへ公費で輸入されたという事実、またちょうど独裁執政官であったカエサルが、市民戦争の始まった頃(前四九年)、金・銀とともに一五〇〇ポンド(四九一・二キログラム)のラセルピキウムを国庫から持ち出した事件のことである。

41 最も信頼のおけるギリシアの著述家たちが書いているところによると(テオフラストス『植物誌』三・一・六、六・三・三)、ラセルピキウムは、ヘスペリデスの庭園や大シルテス(アフリカ北海岸の流砂地域)がある付近で、キュレネ市建設の七年以上前に、突然ピッチのような黒い雨が降り注いだ土地で生じたことがわかる。なおキュレネ市は、ローマ建都一四三(前六一一)年に建設された。その雨の影響はアフリカの四〇〇〇スタディウム(約七四〇キロ)の地域に及んだ。

42 そこには今でも常に頑固な野生のラセルピキウムが生えており、栽培しようとしても、逃げるように未開の土地へ後退してしまう。太い根が数多くあり、ウイキョウのような茎で、太さも同じくらいの茎をもっていた。葉はアピウム(パセリ、セロリの類)によく似ており、マスペトゥムと呼ばれていた。種子は葉のような形で、葉そのものは春には落ちるのが普通であった。

43 家畜はいつもそれを餌にしていて、始めは下痢を起こしていたが、間もなく驚くほどおいしい肉を付けて太るようになった。葉が落ちた後は、人々も茎そのものを煮たり焼いたりして、あらゆる方法で調理して食べていたが、人間の体の場合も、最初の四〇日間は下痢を起こした。液汁は二とおりの方法、すなわち根と茎から採集されていた。この二つの液汁の名はそれぞれリジアス(「根の汁」の意)、カウリアス(「茎の汁」の意)といい、後者は前者より価値が低く、腐敗しやすかった。根には黒い皮がある。

44 商品にするための調合法は、液汁そのものを容器に入れて糠を混ぜ、ときどきかきまわして熟成させるというものであった。そのようにしないと腐敗してしまうのである。熟成の目安は、色と乾きぐあいで、表面に汗をかかなくなる。

45 また他の人々が伝えるところでは、ラセルピキウムの根は一クピトゥム(約四四センチ)以上もあり、地上の部分には確かにこぶがあったそうだ。このこぶに傷をつけると、ミルクのような液汁が流れ出るのが普通で、こぶのところから茎が生じ、マギュダリスと呼ばれた。黄金色の葉が種子の代わりで、大犬座が昇って南風(七月中旬)が吹く頃に落ちる。この葉からラセルピキウムが生え、一年もすると根も茎も完全に生長する。また次のことも報告されている。ラセルピキウムのまわりを掘る習慣があったこと、家畜は下痢を起こさないが、病気にかかった家畜が食べた場合は、治るかすぐに死ぬかのどちらかであったことである。ただし、このようなことはめったに起こらなかったという。先に紹介した見解は、ペルシアのシルフィオンに該当した。

一六 マギュダリス

46 ラセルピキウムのもうひとつの種類はマギュダリスと呼ばれ、柔らかく苦みがなく、液汁もない。シリアの周辺に生育し、キュレネの地域には見当たらない。パルナソス山(ギリシアのフォキス地方にある山。デルフォイ神殿はその中腹にある)にもたくさん生えていて、これをラセルピキウムと呼ぶ人々もいる。これらすべてのせいで、最も健康によく有益な品種の信用が危うくなっている。純粋なラセルピキウムの証拠はまず第一に、色が程よい赤色であることで、砕くと内部は白い。次は、雫が透明になり、唾液ですぐに溶けることで、多くの薬剤に用いられている。

153 ところで、カルドゥウスは二とおりの方法で栽培されている。秋に苗を植える方法と、三月七日以前に種子を撒き、そこから出た苗を十一月一三日前に、または寒い地方では西風(春風)の吹く頃に植える方法である。もしできれば、さらに肥料を与えると豊作になる。また、いつでもカルドゥウスを欠かさないようにするために、ラセルの根とクミンを加え、ハチ蜜を溶かした酢に漬けて貯蔵する。

167 ギト(クロタネソウ属)はパン屋が用いるために、アニス(セリ科)とディル(イノンド属)は家庭の台所で用いるため、また医薬用として育てられる。ラセルに混ぜるサコペニウムもそれ自体は菜園でとれるものに違いないが、医薬用にしか用いられない。

『プリニウス博物誌 植物薬剤編』

上述の『プリニウス博物誌 植物編』は「Gaius Plinius Secundus:Naturalis Historia」の全37巻中第12巻から19巻までのラテン語原典を全訳したものなのですが、それに続く20巻から27巻までの原点を全訳したものが『プリニウス博物誌 植物薬剤編』になります。

この中にもシルフィウムがところどころ出てきており、単体で利用するのではなく配合剤として調合し利用されていた様子が記述されています。

大槻 真一郎 (編集)『プリニウス博物誌 植物薬剤編』 八坂書房
(p12、17、23、25、26、38、166~168、204)

Ⅰ 野菜の薬効

一七 野生シセル
34 野生シセルは栽培種と似ており、効能も似ている。ラセルピキウム入りの酢につけて食べるか、または胡椒とハチ蜜、あるいはガルム(魚醤)につけて食べると、胃を刺激し、食欲不振を解消する。

56 ニンニクを食べ物や飲み物と一緒にとると癲癇を治し、その球根一個を一オボルス(約〇.六グラム)のラセルピキウムとともに辛口ブドウ酒に入れて飲むと、四日熱をはらうと信じられている。

80 カトーは「縮葉キャベツ」を一番重んじた。その次には葉が大きくて茎が太い、滑らかな品種を重んじた。彼は、それを生のまま酢蜜、コエンドロ(コリアンダー)、ヘンルーダ、ハッカ、ラセルの根に混ぜ、二アケタブルム(約一三六ミリリットル)を毎朝服用すると、頭痛、目のかすみ、目のちらつき、脾臓、胃、そして心窩部に有効であるとし、効力が非常に大きいので、それらを磨り潰す人自身が丈夫になるように感じるほどであると述べている。

90 干したキャベツの茎の灰は腐食剤のひとつとされている。そして古い脂肪と混ぜて坐骨神経痛に用いられ、ラセルおよび酢と混ぜたものは脱毛剤として塗布され、抜けた毛の後に他の毛が生えるのを防ぐ。

94 またキャベツの煮汁三に対してみょうばん二を加えたものを強い酢に溶いて塗布すると、プソラ(皮膚病の一種)や慢性のレプラが消える。エピカルモスは、狂犬の咬み傷にはそれを塗っただけで十分だが、ラセルの汁および強い酢を加えたものはさらによいとした。またそれを肉に加えて与えると、イヌは死ぬと言った。その種子を炒ったものはヘビ、キノコ、牡ウシの血の解毒剤になる。

141 ハチ蜜やみょうばんを加えて塗るとプソラ(皮膚病の一種)やレプラがよくなり、同様にトリュクノスやブタやウシの脂肪を加えて塗ると、乾癬、疣、腺腫やそれらに似た症状を改善する。酢や油あるいは白鉛に入れて塗ると丹毒を、酢に入れて塗ると癰をよくする。ある人々はラセルピキウムを一緒に塗るとよいというが、それがなくともエピニュクティス(膿疱)に用いる。

Ⅲ 草本類の薬効

四九 ラセル
101 ラセル(ラテン語のラク「乳、乳液」)とシルフィキウム「シルフィウムの」が縮まった語)は既述のようにシルフィウムから生じ、自然の特別な賜物のひとつで、多くの配合剤として調合される。それ自体としては、冷えた体を温め、飲むと筋肉の疾患を和らげる。ブドウ酒に入れて夫人に与える。また月経を促進するには柔らかい羊毛に浸して子宮に挿入する。足のうおのめはナイフでまわりに傷をつけ、蜜蝋をまぜたものを塗ると抜け落ちる。ヒヨコマメほどの大きさのものを水に溶かして飲むと利尿効果がある。

106 専門家が、痛む虫歯にラセルを詰め蜜蝋でふさぐとよいといっていることは認めがたい。こうしたために高所から身を投げた人が出るという悲劇が生じたからである。実際、鼻孔に塗ってやると雄ウシを怒らせ、ヘビの好むブドウ酒にこれを混ぜてやると、裂けてしまうのである。アッティカのハチ蜜を混ぜるとよいと指摘する人もいるが、そのようなものを塗ることを私は勧めない。ラセルと他の物を混ぜたものにどれほどの効用があるかを述べたらきりがくなる。われわれが扱っているのは、合成しないままの個々のものである。

107 ハチ蜜の価値は、もしそれがどこにでも生じるものでなかったなら、ラセルに劣らず貴重であろう。自然はラセルを手ずからつくり、ハチ蜜を生み出すためには、既述したように昆虫をつくり、無数の用途に備えた。どれほどいろいろなものとハチ蜜を混ぜ合わせるかを考えると、このことが分かるだろう。

Ⅳ 栽培樹の薬効

57 毒を吸い上げたあとに口を酢ですすぐ点についても、事情は同じである。酢の力はあらゆるものを手中におさめており、単に食糧だけではなく、きわめて多くのものに関わっている。酢をそそぐと、それまで火でも崩すことができなかった岩を崩す。ほかのどんな液を使おうとも、食べ物にこれほど魅力を添え、風味をこれほど引き立たせることはできない。酢をこういう目的で使う場合、焼いたパンやクミンによってその効果は和らげられるが、コショウやラセルによって引き立てられる。またとくに塩によってその効果は抑えられる。

【まとめ】シルフィウムとは?

シルフィウムとはどんなハーブですか?

今では絶滅してしまったハーブで、種の形がハートの形「♡」をしているためハートマークの由来になったとされています。

シルフィウムはなぜ絶滅したのですか?

肉の需要が増えたことによる大規模な放牧に加え、砂漠化も進んだことが絶滅の要因となりました。野生種のみで、人間が栽培しようとしてもなぜかうまくいきませんでした。

シルフィウムの正体は何ですか?

シルフィウムの学術上の分類は不明ですが、テオフラストスの『植物誌』や古代ローマ時代の地理学者ストラボンの記述から、おそらくジャイアントフェンネル(アサフェティダ)の一種なのではないかと考えられています。

現在では、もうどこにも生えていない?

肉の需要が増えたことによる大規模な放牧に加え、砂漠化も進んだことが絶滅の要因となりました。野生種のみで、人間が栽培しようとしてもなぜかうまくいきませんでした。

シルフィウムの正体は何ですか?

テオフラストスの『植物誌』によれば、シルフィウムの近い種にマギュダリスと呼ばれるものがあり、「シリアの付近やギリシャのパルナソス山にたくさん生えている」とあることから、近親種は生き残っているかもしれません。

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管理人

シルフィウムについて、文献も元に詳しく解説しました。

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