アロマテラピーと人物(先史~紀元前)

先史時代

ネアンデルタール人ネアンデルタール人(約3万年前)

約20万年前に出現し2万数千年前に絶滅したヒト属の一種であるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は、死者の埋葬に花を使っていました

1960年代のはじめに、アメリカの考古学者R.ソレッキ博士がイラクのシャニダール洞窟発掘の報告の中で、ネアンデルタール人が花をそえて幼児を埋葬していたと発表しています。

この解釈に関して異論も出されていますが、埋葬された墓の土からタチアオイやムスカリ、ノボロギグなど少なくとも8種類の花粉や花弁が大量に見つかっており、自然に貯まったものではないと考えられています。

花は、白や青、ピンクの色鮮やかな花であることから、ネアンデルタール人が死者を悼み、遺体に献花したり、副葬品として花を用いていたのではないかと言われるようになりました。

なお、ネアンデルタール人は約3万年前に絶滅し、我々の直系先祖ではなく別系統の人類であるとする見方が有力ではありますが、人間(ホモ・サピエンス)のゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が数%混入しているとの説が2010年に発表されています。

また、原人までは服を着ておらず埋葬の習慣もありませんでした

紀元前


古代エジプト人とミイラ(BC3000年頃)

ピラミッドとラクダ紀元前3000年ごろのエジプトでは、ミイラを作る時に乳香(フランキンセンス)や没薬(ミルラ)などの植物を使いました。

神々を祭る神殿では薫香を焚いたり、ハーブや薬草をお湯やオリーブ油などに付け込んで作った浸剤を利用しています。


古代インド人とアーユルヴェーダ(BC1200~1000年)

リグ・ヴェータ(Rg-veda)紀元前1200~1000年ごろの古代インドでは、最古の文献である「ヴェーダ」(サンスクリット語で「知る」意味する)が編纂されました。

その中の、神々に捧げた賛歌集『リグ・ヴェータ(Rg-veda)』には、アーユルヴェーダ(インド・スリランカで生まれた約5000年以上の歴史を持つ世界最古の伝統医学)の源流が見られます。


ソロモン王(BC1011年頃~BC931年頃)とシバの女王

ソロモンの裁き紀元前10世紀ごろ、アラビア南部にあったシバ王国(Sheba)の女王が、賢者として名高いイスラエルのソロモン王(在位:BC961年頃~BC922年頃)の博識を確かめようと宝物を携えて訪れるくだりが『旧約聖書(The Old Testament)』にあります。

この訪問は実際には通商上の交渉を兼ねていたと思われますが、大量の金や宝石、乳香などの香料、白檀(サンダルウッド)などが寄贈されています。

上の画像は、「ソロモンの裁き」の一場面

同じ家に住む二人の女が同じ頃子供を産んだのですが、ある朝起きると1人の赤ん坊が死んでおり、2人の女は生きている子が自分の子供だと言い張り、ソロモン王の裁きを求めに行きました。

するとソロモン王は、「この赤ん坊を剣で2つに裂き,2人の女に半分ずつ与えよ」と裁定を下します。その時、片方の女性は「早く子どもを切り分けてください。自分の物にならないとしても、その女にとられるのだけは嫌です」と言いました。

ところが、もう片方の女性は「王様、お願いです。この子を生かしたままその人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言いました。するとソロモン王は、後の女性を母親と認めたという話です。

ヒポクラテス(Hippokrates BC460年頃~BC375年頃)

ヒポクラテスヒポクラテス(Hippocrates)は、これまでの呪術的な手法とは異なり、医師の経験や症状の観察を重視して病気を科学的にとらえ、急性・慢性・風土病・伝染病の4つに分類するなど現代にも通じる西洋医学の基礎を築き、「医学の父」と呼ばれています。

病気は神々の与えた罰などではなく、環境、食事や生活習慣によるものであると主張、その考えは没後紀元前3世紀に編集された『ヒポクラテス全集(Corpus Hippocraticum)』によりうかがい知ることができます。

また、マッサージの重要性を説き、その効用・効果を医療の手法や健康づくりに用いたと言われています。

テオフラストス(Theophrastos BC373年頃~BC287年頃)

植物誌(Historia Plantarum)テオフラストス(Theophrastos)は、古代ギリシャの哲学者、博物学者、植物学者で、哲学者アリストテレスの弟子でもあります。

このように、今日まで通用する分類法の基礎となるやり方を確立しているほか、『植物誌(Historia Plantarum)』を著し『植物学の祖』と呼ばれています。

また、大半は失われてしまったものの、226本とも言われる厖大な論文を著し、論理学・倫理学・博物学・数学・気象学・天文学・教育・政治学・音楽・宗教と多岐に及んでいたようです。

アレキサンダー大王(Alexandros BC356年~BC323年)

アリストテレスの講義を受けるアレキサンダー大王アレクサンドロス3世(通称アレキサンダー大王、またはイスカンダル)は、13歳のころから3年間、哲学者アリストテレスのもとに学び、紀元前336年に19歳でギリシャとペルシャの中間に位置するマケドニア王国の王に即位(通称アレクサンドロス大王)しました。

その2年後には東方遠征を始め、アケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼして、10年で中央アジア、インド北西部にまでいたる広大な世界帝国を実現、ハンニバルやカエサル・シーザー、ナポレオンなどの著名な歴史上の人物たちから大英雄とみなされています。外傷を癒すのにサフラン風呂が効くと考え、好んで入浴していました。

この東征では異民族との融和が奨励されたことから、東西で活発な交流が起こってギリシャ文化とオリエント文化が融合した「ヘレニズム文化」と呼ばれる豊かな文化が生まれました(アレキサンダー大王自ら、敗戦国でペルシア人のダレイオス3世の娘と結婚)。大王自身は32歳の若さで熱病に倒れてしまいましたが、この時期から東西のハーブや香辛料が交易品として盛んに取引されるようになっていきます。

クレオパトラ7世(Cleopatra BC69年~BC30年)

クレオパトラ7世クレオパトラ7世(一般に「クレオパトラ」として浸透)は、古代エジプト・プトレマイオス朝最後の女王で「絶世の美女」として知られ、人をそらさない魅力的な話術と、小鳥のような美しい声であったと伝えられています。

クレオパトラの化粧品の中にサフランが入っていたと言われているほか、アレキサンダー大王と同じくサフラン風呂に入っていました。

クレオパトラが入ったサフラン風呂は、カップ1/4ほどのサフランを体が浸かるだけのお湯に入れたもので、男性を迎える時に使っていたようです。また、アロエの液汁を体中に塗り付けたりアロエで化粧水を作って肌に潤いを与え、エジプトの強い日差しから肌を守っていたと伝えられています。

バラの香りをこよなく愛し、毎日バラの香水風呂に入り、寝室にはバラの花を敷き詰めていました(1回に使う香料は現在の価格にして数十万円分)。その美しさとともに香料を使うことで、ローマの独裁官カエサル=シーザーおよびその部下であったアントニウスの心をとらえたと言われています。

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